幼少期④ [自己紹介]
さて、転校した小学校は最悪でした。
学校の周りには県営住宅が広がっていて、低所得世帯の溜り場でした。
ですので、学校のレベルも低く、ガラが悪くて馴染めませんでした。
木更津では特権階級張りの生活でしたので、奈落の底に突き落とされた感じでした。
連日ブルーな気持ちで登校しますので、友達もなかなか出来ませでした。
そんな中、救いの手が差し伸べられました。
(ここまでが前回の内容です)
木更津にズ~ト帰りたいと思いながら半年が過ぎて、小学校の4年生に進級しました。
クラス替えが有り、ここで集まった父兄(今風に言えばオヤジの会)からある提案がありました。
この学校には野球チームが無く、野球チームに入りたければ隣町のチームに入るしかありませんでした。
隣町は少年野球が盛んで、チームだけでも20チーム位ありました。
そこでわが町初の少年野球チームを作って、隣町の野球リーグに加盟する事になりました。
先ずはクラスの有志でチームを作りました。
一人の草野球経験者のお父さんが監督を引き受けてくれました。
この方、それ以降10年間位監督を続けられました。
毎週土日を潰して少年野球チームをの為に尽力された姿に頭が下がります。
本当の人格者でした。
とんでもない監督もいました。
上手く審判を騙して、点数をごまかして勝てたら子供達にアイスを驕るなどです。
子供心にこんな監督のチームでなくて良かったと思いました。
さてさて、現実の虚しさを紛らわす為に誘われるがままに少年野球チームに入りました。
不安は有りましたが、期待に胸を膨らませて入会したのですが、、、、
(つづく)
学校の周りには県営住宅が広がっていて、低所得世帯の溜り場でした。
ですので、学校のレベルも低く、ガラが悪くて馴染めませんでした。
木更津では特権階級張りの生活でしたので、奈落の底に突き落とされた感じでした。
連日ブルーな気持ちで登校しますので、友達もなかなか出来ませでした。
そんな中、救いの手が差し伸べられました。
(ここまでが前回の内容です)
木更津にズ~ト帰りたいと思いながら半年が過ぎて、小学校の4年生に進級しました。
クラス替えが有り、ここで集まった父兄(今風に言えばオヤジの会)からある提案がありました。
この学校には野球チームが無く、野球チームに入りたければ隣町のチームに入るしかありませんでした。
隣町は少年野球が盛んで、チームだけでも20チーム位ありました。
そこでわが町初の少年野球チームを作って、隣町の野球リーグに加盟する事になりました。
先ずはクラスの有志でチームを作りました。
一人の草野球経験者のお父さんが監督を引き受けてくれました。
この方、それ以降10年間位監督を続けられました。
毎週土日を潰して少年野球チームをの為に尽力された姿に頭が下がります。
本当の人格者でした。
とんでもない監督もいました。
上手く審判を騙して、点数をごまかして勝てたら子供達にアイスを驕るなどです。
子供心にこんな監督のチームでなくて良かったと思いました。
さてさて、現実の虚しさを紛らわす為に誘われるがままに少年野球チームに入りました。
不安は有りましたが、期待に胸を膨らませて入会したのですが、、、、
(つづく)
コメント 0